ゆるりくるり

30歳 現役看護師 仕事、美容、婚活、その他諸々について書いています。

7年前の後悔を乗り越えられた日

 こんにちは、アヤです(^^)

 

今回は友達の話をしようと思います。

「友達は大事にしなさい」よく聞く言葉です。

「そんなの小学生でもわかってるよ」そう思っていましたが、私は全然わかっていなかったんだなと気付かされた出来事がありました。

 

ある日、ある友人から、〇〇が今度うちの病院に入職するらしいという話を聞きました。

〇〇(以下”A”)とは、専門学校時代に一番仲が良かった友達です。

ですが、”あること”があってから全く会わなくなり、7年間連絡も一切取っていませんでした。

 

その”あること”とは、私が病気になったことです。

私は7年前に”バセドウ病”という病気になりました。

バセドウ病とは、甲状腺のホルモンが出すぎてしまい、様々な症状を引き起こす自己免疫疾患です。

私も、バセドウ病と診断される3か月くらい前から体調不良に悩まされ、よくAに相談していました。

診断される頃には、体調不良がひどくなり仕事も出来ず、体重は15㎏増え、眼球が飛び出し、太ったのとむくみで顔はパンパンで、外見が全く変わってしまっていました。

その変わってしまった姿を見られたくないという気持ちと、友達はみんなバリバリ働いているのに自分は働けないという劣等感もあり、家に引きこもり、親友一人を除いて、他の人とは一切連絡を取らなくなりました。

 

働きたいのに働けない、社会に取り残されていくような感覚や今後の不安があり、日に日に気持ちが落ち込んでいき、夜になると不安でどうしようもなくなって、毎晩泣いていました。

Aからは何度もメールや電話が来ていたのですが、返すことが出来ず、心配したAは私の家まで来てくれました。

しかし、私は会う勇気がなく、弟に「今はいない」と言ってもらい、追い帰してしまいました。

申し訳ないと思う気持ちはありましたが、その時は本当に自分に余裕がなかったんです。

でも、あとからすごく後悔しました。

治療を開始して、症状が徐々に治まってくると、気持ちが落ち込むこともなくなりました。

ですが、その時すでに半年以上経っていて、今更連絡出来ないと思いAとは音信不通のままでいました。

そして私は、そのあと上京しました。

 

都会での新しい生活と出会いがあり、地元での生活や友達のことは時間が経つに連れて遠い記憶になっていきました。

Aも私のことはもう気にしてないだろう、Aは他にも友達がたくさんいるし、私なんかと会えなくてもなんてことないに違いない、そう勝手に思っていたんです。

そして私は地元に帰ってきて、今働いている病院にAも来るということになったんです。

 

正直、かなり会いにくいです。

でも、配属先はたくさんあるから一緒に働くことはないだろうし、配属先が違えば滅多に会うことはない。

1階下で働いている弟とさえあまり会わないし。 

会ったら会ったで、その時はその時だ、そう思っていました。

 

Aが入職する日になり、「今日かー、きっとそのうち会うんだろうな」と思いながら着替えロッカーを出ると、なんとAがいました。

「えっっっ!!うそでしょ!?」

まさか初日に、しかも朝一で会うなんて・・・。

今思えば、神様が「友達をもっと大事にしなさい」と言ってくれてたんだと思います。

 

きっと、Aには「久しぶり!急に連絡取れなくなったからどうしたのかと思ったんだよー。今まで何してたの?」なんて明るく怒られると思いました。

でも、Aは私の顔を見るなり泣き始めました。

「全然連絡取れなくなったからずっと心配してた。元気そうで安心した。」

そう言って泣いてくれたんです。

「自分はなんてバカなんだろう、大バカ者だ。」心からそう思いました。

外見が変わったとか、劣等感とか、そんなことを気にして心配してくれてる友達の気持ちを全然考えていませんでした。

Aは私のことはもう忘れてるなんて、自分の都合のいいように考えて、楽になりたかっただけでした。

「ごめん」そう言って私も泣きました。

心が痛んだのと同時に、今まで引っかかっていたものが取れた気がしました。

今はまた連絡を取り始めたので、少しずつ前のような友達に戻れたらいいなと思っています。

こんな私のことをまだ友達だと思ってくれるAを、大事にしなきゃいけないと思いました。

 

友達って本当にありがたい存在ですね。

そんな当たり前のことに気が付いた、30歳の夏でした。